地誌輪読会
Local History Reading Group 会員限定地誌輪読会について
藤沢をはじめ相模地域を記した地誌が数多く残されています。それら地誌から藤沢を中心にして郷土史を学ぶ会を毎月第一日曜日に湘南台市民センターで開催しています。 会員はどなたでも参加できます。午前の部または午後の部だけの参加も歓迎します。もちろんお試し見学も可能ですので、お問い合わせ下さい。
現在開催中
藤沢市史料集33
「秩父坂東湯殿山記行」(享保十一年)
「伊勢太々講道中記」(天保十四年)
前半 「秩父坂東湯殿山記行」 藤沢宿の平野半右衛門が、享保11年(1726)に秩父34箇所、坂東33箇所と出羽3山(湯殿山・月山・羽黒山)の 各霊場を巡拝した記録です。出羽3山の中でも、特に庶民の信仰を集めたのが「いかなる難病も必ず平癒する」といわれた湯殿山でした。
後半 「伊勢太々講道中記」 高座郡萩園村(現・茅ヶ崎市萩園)の青木長右衛門嘉房(1778~1852)が、天保14年(1843)に伊勢神宮への参詣と、そこでの太々神楽の奉納を目的とした旅の記録です。 和歌、俳句も豊富で、箱根山では「おうへいに 鳴鶯や 箱根山」と詠んでいます。 伊勢で一行が世話になった御師方の対応も格別だったと思われ「是ぞ誠の極楽可成」と記しています。 また、太々神楽の様子や、京都観光の様子なども細かく記されています。
茅ヶ崎市史料集5
「太平年表録」
柳島村(茅ヶ崎市柳島)の名主で、柳島湊の船主の藤間柳庵(1801~1883)が、嘉永六年(1853)~明治五年(1872)の維新変革期に生起した政治・外交・社会の 出来事について、入手した御触書や風聞、柳庵自身の見聞を年代順に編纂したもの。幕府の崩壊を目の当たりにした柳庵の思いを伝えています。
実施報告一覧
午前の部
実施期間 | テキスト |
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令和2年10月 ~ | 藤沢市史料集33 「秩父坂東湯殿山記行(享保十一年)・伊勢太々講道中記(天保十四年)」 |
令和元年7月 〜 令和2年9月 | 渡辺崋山の紀行文 「游相日記」 |
平成29年6月 〜 令和元年6月 | 藤沢市史料集28 「伊勢参宮道紀行・道中日記」 |
平成28年2月 〜 平成29年5月 | 藤沢市史料集31 「旅人が見た藤沢」 |
午後の部
実施期間 | テキスト |
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令和5年7月 ~ | 茅ヶ崎市史料集5 柳島 藤間柳庵「太平年表録」 |
平成28年7月 〜 令和5年6月 | 「相中留恩記略」 |
〜 平成28年6月 | 「鎌倉大草紙」 |
実施報告
藤沢市史料集33
「秩父坂東湯殿山記行(享保十一年)・伊勢太々講道中記(天保十四年)」
前半 「秩父坂東湯殿山記行」 藤沢宿の平野半右衛門が、享保11年(1726)に秩父34箇所、坂東33箇所と出羽3山(湯殿山・月山・羽黒山)の 各霊場を巡拝した記録です。出羽3山の中でも、特に庶民の信仰を集めたのが「いかなる難病も必ず平癒する」といわれた湯殿山でした。
後半 「伊勢太々講道中記」高座郡萩園村(現・茅ヶ崎市萩園)の青木長右衛門嘉房(1778~1852)が、天保14年(1843)に伊勢神宮への参詣と、そこでの太々神楽の奉納を目的とした旅の記録です。 和歌、俳句も豊富で、箱根山では「おうへいに 鳴鶯や 箱根山」と詠んでいます。 伊勢で一行が世話になった御師方の対応も格別だったと思われ「是ぞ誠の極楽可成」と記しています。 また、太々神楽の様子や、京都観光の様子なども細かく記されています。
年月日/参加数 | 内容 |
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2024年12月1日 参加:9名 | 2日 金毘羅大権現から弘法大師生誕の地善通寺を参詣する。ここで弘法大師にちなんだ歌を詠むが歌にも季節が緩んで春らしくなったことがわかる。丸亀から朝8時ころに船に乗り約8時間かけて対岸の田の口に着く。だいぶ時間が掛かっているのはなぜかと議論になる。瀬戸内海にはたくさんの島があるので途中どこかの島に立ち寄った?いや現在のような大きな船でないので風任せの船旅だから当然時間がかかった?歌に出てくる鯱(しゃち)、鮒(ふな)、鯲(どじょう)がでてくるのは深海と浅海を経験するほどの厳しい船旅であった? 等の意見が多数でる。当時は備前、備中、備後にわかれていて作者は備中の一の宮に参詣する。岡山では御影石の橋を渡り25日藤井宿に泊まる。27日の記述が抜けていてその日は御着宿に泊まったことになる。川の土手にある赤松園心の墓はあばれ川だった千早川から赤松家の菩提寺に移されたかもしれないという意見がある。しばし墓の話で盛り上がる。 |